大阪国際中学校高等学校

森永製菓株式会社 取締役常務執行役員:宮井真千子氏

対談2

次の世代の子どもたちに伝えたい、好奇心と挑戦が未来を拓く。

森永製菓株式会社
取締役常務執行役員:
宮井真千子氏

今回、本学理事長の奥田が対談させて頂いたのは、森永製菓株式会社 取締役常務執行役員の宮井真千子氏です。
当時の松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)に新卒社員として入社しキャリアをスタートさせ、様々なポジションを経験、同社で初めての女性役員となられました。また、現在、森永製菓株式会社で、マーケティング、コーポレートコミュニケーション、サステナブル経営推進を担当されています。
今回は好奇心旺盛だった子供のころのお話や仕事を通してのご自身の変化など、多くの貴重なお話をして頂きました。 和やかで温かい雰囲気の中で行われた対談には宮井氏のお人柄が感じられる素敵なメッセージがいっぱいです。

挑戦のきっかけは、好奇心。

奥田

宮井さんは最初、パナソニック株式会社(当時は松下電器産業株式会社)でお勤めになられていたんですよね。入社のきっかけは何だったのですか?

宮井

実はパナソニックに入社しようとは、学生の頃まったく考えていませんでした。私は理系で、大学ではビタミンEについての研究をしており、ゼミの教授のもと研究に打ち込んでいて。そのときの教授が、パナソニックと協働してお仕事をなさっていて、教授から推薦をいただきました。何でも、会社で開発者が不足していたようで。

奥田

それは良い御縁ですね。教授も「宮井さんなら薦められる!」とお思いになったのでしょう。先ほど研究に打ち込んでいたとおっしゃいましたが、大学院に進んで研究を続けるということも、考えたことはあったのでしょうか。

宮井

そうですね。大学に残って研究するという道もありました。でも、研究をしているうちに「自分がやりたいことって何だろう?」と考えるようになったのです。私はもともと、食品メーカーに勤めたいと考えていました。私は、母が昔から身体が弱いこともあって、家で料理もしていましたし、「食」に興味がありました。それに進学した食物学科では、学友たちはみんな食品メーカーを志望していたので、「私も」と。ですが自分のやりたいことを考えて向き合っていくうちに、食べ物そのものを作るよりも、「作る過程」をより良くしたいと考えるようになりました。ですから、調理機器の開発も行っているパナソニックに勤めることになったとき、自分の中でマッチしたな、という感覚がありましたね。

奥田

なるほど、自分と向き合うことで「パナソニックへの入社」が納得のいく進路になった、と。経験から自分を深めていくことには、思わぬ発見があるものですよね。
実は私も、似たような経験があります。私は「人前で喋る」ことがすごく苦手だったんです。正直に言うと、今も少し苦手です。でも理事長という立場で生徒たちと向き合う中で、大勢の前で話すことへの苦手意識が薄くなり、それよりも「伝えたいことを伝えるんだ」という気持ちを強く持てるようになりました。自分のやりたいことと向き合うのは、とても大事なことだと思います。

宮井

奥田さんにもそんなところがあるのですね。私、学校の先生はすごい職業だなと常々思っているのです。実は小さい頃から「将来は学校の先生になりなさい」と両親からは言われていました。私の地元である和歌山県紀伊半島では、大学に行って学校の先生になる女性が多かったのです。だから私も先生になるんだろうな、と何となく思っていました。

奥田

自分の希望で決まった夢や目標を持っていたわけではなかったんですね。

宮井

そうなんです。でも好奇心はすごく旺盛な子どもでした。小学生のとき、海を見て「この先にはアメリカがあるんだ!」と考え、ドキドキしていたものです。 それから人生の転機が訪れたのは、高校生のときでした。とはいえ、なにか大きな事が起きたわけではありません。ただ元々持っていた好奇心旺盛な部分が爆発して、東京の大学に進学したい! 料理が得意だから「食べること」を研究したい! と思い立ち、そのまま地元を飛び出していきました。両親も止めることはなく、送り出してくれましたね。ただ「進学先で教員免許だけは取得しておきなさい」と、それだけは両親と約束しました。

奥田

今のしっかりされたお姿からはあまり想像できませんね!
でも、小さいときから夢・目標を明確にして、一直線に進んでいった人というのは、実際には少数派だと思います。子どもは、たくさんの物事を見聞きし、経験していく中で成長していけば良いですからね。いつからでも夢は始められます。
大学時代はどう過ごされましたか? お聞きする限り、教員免許も取得されて、学校の先生の道も考えておられたようですが……。

宮井

大学で過ごした日々は、本当に楽しかったです。やはり東京には流行の最先端が詰まっていて、テクノロジーも進んでいて、毎日ワクワクしていました。そんな大学生活を送っていたのですが、教員免許を取得する過程で受講した教育実習で、大きなショックを受けましたね。

奥田

それは、学校の先生ではなく企業に勤めようと考えるきっかけになったことですか?

宮井

そうです。教育実習に行ったとき、実際の先生のお仕事を間近で、初めて見せていただきました。そのとき「学校の先生ってこんなに頑張って働いていて、何て大変なお仕事なんだ!」と、愕然としましたね。朝から昼、夕方にかけて生徒や保護者と向き合い、夜は明日の生徒たちのために課題づくり。ずっと生徒たちと向き合い続けていて、その姿を見たときに「私には、こんなにすごい先生の仕事はできない」と思いました。せめて一回、社会に出て自分を鍛えないと、強い意志を持って生徒と向き合い続けるなんてできない、と。自分が「何となく」で学校の先生になろうと考えていたこと、その甘さを思い知りましたね。

奥田

そうだったんですね。確かに教師の仕事は子どもたちを預かっている以上、責任は重大です。責任をしっかり持つこと、その大切さはどんな仕事にも共通していますが、その「責任の重さ」を目の当たりにしたことが、宮井さんのターニングポイントだったんですね。

宮井

私は父に相談しました。相談した回数は多くなかったですが、話すたびにたくさんのアドバイスをくれて、とても有難かったです。そのときに教えてもらった「工学部は卒業後に色んな選択肢が持てるぞ」というアドバイスをもとに、大学を選びました。

自分と向き合うたびに、新しい発見に出会える

本学理事長:奥田
和やかな雰囲気の対談 本学理事長:奥田

奥田

パナソニックに入社されてから、そのあとの人生設計はどのように考えていたんですか?

宮井

私はパナソニックで会社初の女性役員、という地位もいただきましたが、働き始めた頃はまったくキャリアウーマン志向ではありませんでした。むしろ、今でもそうではないかもしれません。
入社したときは何となく「数年働いたら結婚して退職して、家庭を築いていくのだろうなぁ」と思っていました。これも、地元で身近にいた大人たちが、そうやって暮らしている姿を見ていたからだと思います。

奥田

宮井さんは最初からバリバリ働こう! と考えていたのではないんですね。想像していた未来とは変わったきっかけは、何だったんでしょうか?

宮井

まずパナソニックに様々な挑戦をさせてくれる社風があったことですね。それから、上司や同僚に恵まれ、たくさんサポートしていただけたことです。おかげでとても楽しく働くことができて、仕事に夢中になれました。「仕事ってこんなに楽しいんだ!」と。

奥田

なるほど、実際に仕事を経験してその楽しさに気づいた、ということなんですね。そこから今の宮井さんが形成されていった、と。仕事をする中で、何か成長や変化を感じることはありましたか?

宮井

変わりましたね。自分が想定していなかった自分を発見するといいますか、「私ってこんな部分もあったんだ!」と、たくさんの気づきがありました。例えば私は自分のことを、リーダーシップを発揮して組織を引っ張っていく人間だと思ったことはなかったのです。ですが、意外にも働く中でそういった部分が発揮されていきました。
社会人になって仕事をする醍醐味というのは、そういう発見を自分で積み上げていけるかどうかにあると思います。それは小さくても大きくても良くて、成長し続けて変化を楽しめる姿勢が大切だな、と。

奥田

素敵なお言葉です。宮井さんの好奇心旺盛さは、今もなお続いているんだな、と感じます。そういった姿勢を持ち続けるために、何か意識していることや大切にしていることはあるのでしょうか? ぜひ子どもたちに、その秘訣を教えたいと思いまして。

宮井

私が子どもたちや会社の後輩にいつも伝えることがあります。それは「失敗してナンボ」だということです。今の日本の子どもたちって、自己肯定感が低いとよく言われますよね。失敗して怒られたらどうしよう、と他人の目がすごく気になっている。でも本当は、失敗は必ず何かの結果に繋がるものなのです。だから失敗を恐れず挑戦してほしいと思います。失敗しても良い、というよりは、失敗こそ最終的に成功するための秘訣じゃないでしょうか。
このことに関係しているのですが、今、新入社員たちを指導する立場になってよく感じるのは、みんな「答えを求めがち」だな、と。要は上司に「コレをやりなさい」と言ってほしいと考えているのです。でも私はそうじゃないと思います。自分で考えて行動して、自ら答えを見つけていける人が、これから求められてくるので、そういう力を小さいときから身につけてほしいと思います。

奥田

まさに大阪国際中高ではそういった教育を目指しているんです。自ら考える力をもって行動できる、自立した人へと成長してほしい。そのためにも、「一つの問題に一つの答え」的な考え方を払拭したいと思っています。
その「答えを求めがち」な発想というのは、日本の受験戦争が一つの要因としてあると思います。正解を求められる状況に慣れ過ぎて、答えは一つの正しいものでなくてはならない、という考えが染みついてしまう。もちろん最終的に正答が存在する問題に対して、正確に答えを導き出す力も大切ではあります。でも、それだけではないことを子どもたちには伝えていきたいのです。

宮井

すごく良い発想だと思います。学校で「自ら考える力」を身につけられたら、社会に出たときに本当に生きる力になると思います。社会には、正解が一つではないどころか、何が正解か明確ではない物事がたくさんありますから。単なる知識だけでなく、自ら最善策を考える「知恵」を身につけ、その大切さを早いうちから学んでほしいです。

奥田

ちなみに、宮井さんは小さいときに教わったことで今も生きているな、と感じるものはありますか?

宮井

母の言葉ですね。「相手の立場になって考えなさい」「役に立つ人間になりなさい」、こういった言葉をずっとかけてもらいました。母は「勉強しなさい」とは一切言わない人でしたが、思いやりや謙虚な姿勢についてよく話してくれました。
若い頃は「うるさいな!」とも思いましたが、そうやって言われ続けてきたことが、自分のコアになっていると思います。色んな仕事をさせていただく中で、まずは相手の立場に立って、視線を合わせてコミュニケーションを取る、そういった姿勢を心がけるようにしています。まだまだ十分ではないですが。母に感謝ですね。

奥田

良いですね。実は私が今まで対談させていただいた方の多くは、ご両親の教えが自分の柱になっているとお答えになりました。自分の柱になる言葉が、失敗したときや何か一歩踏み出そうとしたときに、基準になるのだと。そんな言葉をかける存在に、私たち学校教員もなりたいと思います。

宮井

やっぱり学校の先生は偉大ですね。そういえば、私たち企業人にとっては他にも、柱となる言葉を教えてくれる大きな存在の方がいらっしゃいます。会社を創業した方々です。例を挙げて言うと、私が今勤めている森永製菓の創業者は、「日本の貧しい人たちに美味しくて栄養のあるお菓子を食べさせてあげたい」という気持ち一つで森永製菓を創業しました。パーソナルな部分の柱となるもの以外に、志に共感できる存在というのも、また重要ですよね。

奥田

自分の好きなこと・やりたいことから以外に、何かに共感して夢・目標が見つかることもありますよね。
ただ、今の時代はそうやって夢・目標を見つけづらくなっているのではないか、と思うことがあるんです。現代にはたくさんの技術や物があり、豊かな時代ではあります。
しかしながら、「何か足りないものがある」という経験が減っているために、新しいものを生み出したり創業したりということが、難しくなっているのではないかと感じるんです。今は無いものを作りたい・増やしたい、そういう気持ちは物事を始めるときの原動力になりやすいですが、そのきっかけとなるような出来事に出会いにくいのではないか、と。

宮井

すごく難しい問題ですね。ですが「足りないものがあまりない」、それはそれで良いと思うんです。本当に大事なのは、人々が幸せであることだと思います。最終的なことは変わっていないのではないでしょうか。幸せの在り方が時代とともに変わってきているだけだと思うのです。
物が無かった時代は、一見、物があれば豊かに見えました。今は物が溢れている中で、どう豊かに・幸せになるかと考えると、より深い思考力が必要になると思います。だからこそ子どもたちには表面的なことではなく、「考えて、考えて、考え抜く力」を持って、世の中がより良い方向に行くようなことを考えてほしいなと思います。

奥田

その通りですね。

やりたいことを追求した先に、道ができる

「 主体性をもって、何事にも挑戦してほしい 」 と語る宮井氏
「 主体性をもって、何事にも挑戦してほしい 」 と語る宮井氏

奥田

宮井さんは女性企業人としてご活躍されていますが、実際に日本の女性の進出は、どういった状況なのでしょうか。

宮井

世界の中ではまだまだ後進国ですね。企業が役員として女性を登用したいと考えても、40~50代の働く女性の数が少ないという現状があります。やはり、男性に比べると圧倒的に数が違いますから。

奥田

なるほど。これから次の世代が育ってくる中で、ビジネススキルを備えた女性が増えていくことに期待ですね。
ところで、この様な社会環境の中で、道は決して一つではないということを、子どもたちに伝えるにはどうすれば良いか、実は悩んでいるのです。

宮井

私が若い女子社員によく伝えているのは、「女性は生き方の選択肢が幅広いよ」ということです。私のように仕事をしながら結婚して家庭を築く人もいれば、家庭に入って家事や育児に専念する人もいる。様々な生き方が「一般的なこと」になってきていますよね。だからまず、女性の選択肢は幅広いということを前提に、「自分はどう在りたいのか」を考えなさい、と伝えています。
どのように生きるのか、その結論を出すのは自分だから、とにかく考えるんだよ!って。

奥田

そうですよね。男性も女性も社会で活躍するというのは、ただ何かの職業に就くことだけを指すものではなく、それこそ家庭を築いて子どもを育てて……という営み自体が、とても大きな社会貢献だと思います。「結婚したら仕事は辞めなくてはいけない」といった考えは必要なくて、「自分はどう在りたいのか」を考え、前へ進んでほしいと思います。

宮井

よく仕事と子育ては両立するのが難しいと言われたりしますが、「両立させないといけない」というよりは、自然となるようになるものだと思います。私自身、子どもを持ってからの方が強くなれて、考え方の幅も広がり、社会との接点も増えたからこそ、より仕事の面でも成長できました。実は一人で働いていたときの方が、漠然とした不安が大きかったように思います。仕事は面白いけれど、自分が将来どうなるかわからない、という気持ちがありました。ですので、私は「仕事をしたいから結婚や出産を諦める」、そういう選択は出来る限りはしないでほしいと考えています。
今の社会ではそういったことをちゃんと受け入れられるシステムが出来上がりつつありますから。

奥田

女性も男性も、家庭を持つと強くなれますからね。自分の将来に対して臆病にならず、ぜひ望むままに挑戦してほしいものです。
ところで、宮井さんはパナソニックで初の女性役員に就任されましたが、女性が少ない環境で大変だったことはありましたか?

宮井

苦労が無かったといえば嘘で、やっぱり苦労はありました。唯一の女性役員でしたから、男性ばかりの中でのコミュニケーションの取りづらさはありましたね。
その中で大切にしていたのは「不要な忖度はしない」ことでした。常に何が正しいのか・何を考え行動すべきかを自分に突き付けて、「それが私に課せられたことだ」と。恐れず「自分はこうじゃないかと思う」といったことはしっかり発言するようにしていました。それは男女問わず、コミュニケーションにおいて大切なことだとも思います。

奥田

ストイックな考え方ですね!
女性がどんどん進出してきたら、女性がそれぞれの個性をもっと強く出していけるような社会になっていくと思います。そしてそれが、企業ひいては社会にとってプラスに働くようになるといいですね。

宮井

そうなったら良いですね。今は女性が少数なので、どうしても「女性の○○さん」といった見られ方をされがちですが、数が増えてくれば変わってくると思います。そしてその認識が変わるまでの時間は、そんなに長くないのではないかと思いますね。

奥田

最後に、子どもたちへメッセージをお願いできますか?

宮井

そうですね、やっぱり伝えたいのは、「自分で考えることができて、自分で行動することができる」、そういう主体性をもって、何事にも挑戦してほしいな、ということです。後から今までの自分を振り返ったとき、「少しずつだけど成長してこられたんだなぁ」と実感できるように、後悔のないような選択をしてほしいと思います。
あとは、周りへの感謝の気持ちを大切にしてください。私は働き始めた頃から今まで、たくさんのビジネスパートナーのおかげで楽しく仕事をすることができています。周囲の人のありがたさを感じ、そして周囲の人にその恩返しができるような、素敵な関係を築いてほしいです。

奥田

今回はたくさんの素敵なお言葉をいただき、ありがとうございました!

宮井

ありがとうございました!