大阪国際中学校高等学校

外交官:吉川元偉氏

対談8

語学を学べば
世界が広がる。
好きなことをモチベーションに学んでほしい。

外交官:吉川元偉氏

様々な分野の著名人をお迎えして、みなさんにメッセージを贈っていただく理事長奥田の対談シリーズ第8弾。
今回お迎えしたのは、外交官で元国連大使の吉川元偉氏です。国連大使のほか、スペイン大使や初代アフガニスタン・パキスタン支援担当大使など、世界の外交の場で活躍されてきた吉川氏。
外交官を志したきっかけは何だったのか? 海外での経験を踏まえて、日本の学生たちに伝えたいことは何か? さまざまな切り口から伺いました。

高校でのひとりの先輩との出会いが、人生の転機になった。

奥田

吉川さんは、いつ頃から将来のことを考えていらっしゃったのでしょうか?

奥田理事長
本学理事長:奥田

吉川

僕は、奈良県の御所(ごせ)市という小さな町で生まれ育ちました。公立の小中学校を卒業して地元の畝傍(うねび)高等学校に入った時、人生の大きな転機を迎えました。それは、1学年上の末吉高明(すえよしたかあき)さん(現在四国学院大学学長)との出会いでした。
末吉さんは、英会話クラブの部長で、話が面白かった。英会話クラブでは、英語劇をしたり、留学生を招いて話したり、という活動をしていました。末吉さんが語った夢は、「僕はアメリカに行こうと思っている。AFSという高校生留学制度があって、奈良県からは男女1人ずつ1年間アメリカに行ける。僕はこの秋、試験に通ってアメリカに行く」でした。末吉さんの教材は、朝6時半からのNHKラジオ英会話。彼はこのラジオ教室のおかげで、英語を話せるようになっていました。
末吉さんに「吉川君も一緒に勉強しよう」と言われて始めた勉強法は、非常に簡単なものでした。ラジオ英会話のテキストを丸暗記するんです。そして、御所駅から大和八木駅までの通学電車で、2人で役割を交代しながら、暗記した文で会話しました。結構混んでいる電車の中で、声を出しながらね。これをずっと続けたんです。その年、末吉さんは試験に見事合格して、翌年の夏には予言通りアメリカに旅立っていきました。

奥田

それはすごい。

吉川

そこで、僕も末吉さんと同じくらい英語が話せれば、AFSの試験に合格できるのではないか、と考えたんです。末吉さんが留学した後はひとりで英語の勉強を続け、高校2年生の秋に受験しました。会場の奈良高校の講堂にずらっと受験生が並んでいて、「これは大変だ」と思ったことを今でも覚えています。幸い合格し、高校3年生の夏、全国の男女100名の高校生とともにアメリカに行きました。僕が英語に興味を持ったのも、アメリカに行こうと思ったのも、すべて末吉さんとの出会いがあったからです。

奥田

アメリカ行きが決まった時は「外交官になりたい」という具体的な夢があった訳ではなく、「奈良を出たい」「外国に行きたい」くらいの気持ちだったのですね。

吉川

はい。外交官になろうと意識したのは、アメリカに行ってからです。アメリカ到着当時は、書いてあることはわかりましたが、先生の言う内容を理解して話せるレベルには達していませんでした。ですから、学校の授業の前に必ず予習をしていたんです。授業で先生が「Any questions?(質問はありますか?)」と聞くと、皆「はい、はい」と手を挙げて質問します。予習をしていた僕は、「そんなの、教科書に書いてあるじゃないか」と思いました。しかし、先生は怒りもせず、「Good question!」と言って、ちゃんと説明するんです。逆に、僕のほうが「質問しないね。わかってますか?」と聞かれてしまいました。意見を言わず、黙っているだけでは、何も分かっていないと思われてしまうことを、次々に手を挙げて質問する生徒たちを見て気づかされました。「知らない」と口にすることは、決して恥ずかしくないことを学びました。
こうして日本とアメリカの教育の違いを知る中、僕の進路に大きく関係する出来事が起きます。僕は遠い日本から来た高校生ということで、ラジオやテレビ、ローカル新聞などのインタビューを受ける機会が多くありました。日本の高校生活の質問が多かったのですが、よく聞かれたのは「What do you want to do in the future?(あなたは将来、何をやりたいですか?)」という質問です。日本だと、君の志望大学はどこか、が典型的な質問でしたが、アメリカの高校生は、パイロットとか、メディカルドクターとか、親父の跡を継いで農場をやるんだとか、答えを持っていたのです。
僕はというと、最初は正直に「I haven’t thought about it.(まだ考えてないです)」と答えましたが、ちょっとかっこ悪いですね。そこで、次の機会には「I want to be a diplomat.(外交官になりたい)」と答えました。外交官は、国と国との関係をつなぐ職業だ、というくらいは知っていましたが、仕事の中身も知らないし、会ったこともない。でも「外交官」と答えると、皆「なるほど」と感心してくれました。そうして何度も口にしているうち、外交官になるんだとの気持ちが固まっていきました。アメリカでの卒業アルバムのメッセージを見返すと、「将来、外交官になってアメリカに帰ってこいよ」などと書いてあり、公言していたことが分かります。

奥田

日本では、高校生で将来の具体的な夢を持っていることは少ないかもしれませんね。一方、アメリカやヨーロッパでは、自分の未来を考える、自分の価値を考える、という習慣が根づいているように思います。

吉川

アメリカでは、18歳を過ぎると親元を離れ就職したり大学に行きます。将来何をするかを若い時から考えている気がしました。日本の若者や親は、親離れ・子離れのタイミングがどんどん遅くなっている気がします。

吉川氏
外交官:吉川元偉氏

奥田

吉川さんはその後、スペイン大使も務めていらっしゃいましたね。スペイン語はどのような経緯で学ばれたのですか?

吉川

外務省に入ると2−3年間海外に留学します。私が外交官試験に合格した当時は、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語、アラビア語、中国語のいずれかを選択しなければなりませんでした。英語は話せましたから、新しい言葉を学びたい、歴史と文化のあるヨーロッパに行きたいと考え、スペイン語を選びました。今思うと、スペイン語という選択は非常に良かったですね。

奥田

スペインに行かれた後、人生が開けてらっしゃる感じがしますからね。

吉川

スペイン人は人柄が非常に良かったですね。スペイン語は中南米の国々でも話されているので、その後国連の仕事で役立ちました。フランス人の家内ともスペインで知り合いました。
スペインでは、マドリードにある外交官養成学校で外国人学生として学びました。その後同級生の何人かとは同じ任地で働き、スペイン大使になった時は、同級生たちが偉くなっていて随分助けてもらいました。

奥田

一生懸命頑張るモチベーションの高い人たちが、同じ学校にいるというのは、すごくいいことですよね。ここも、そんな学校にしたいなと思っています。それぞれが色々な場所に巣立っていき、いつか同窓会をやった時、外交官もいれば、政治家もいるし、会社で友人たちと目標に向かっている人もいる。はたまた伝統工芸をやっている人もいる、みたいな。
語学を学ぶのには苦労する学生が多いですが、吉川さんは語学を学ぶことで、すごく世界が広がっていますね。

吉川

そうですね。僕は、自分の経験からも、その国の言葉で話すことで、住んでいる人たちと友達になり、色々なことを知れると思うんです。これからの若者には、できれば英語に加えてもうひとつ外国語を学んでほしいです。
今、外国で日本語に対する人気がすごく上がっているんですが、その最大の理由はマンガやアニメなんですね。日本語を知っているともっとマンガが楽しくなるんじゃないか、という観点で学んでいる人が多いです。日本の学生にも「外国の映画や音楽を原語でわかるようになりたい」といったような、身近なきっかけからモチベーションが生まれたらいいなと思います。また、外国語を学ぶためには、まずは自国の言葉ができていないといけません。

奥田

語学関係の方は、必ず皆さんそうおっしゃいます。

吉川

人間は言葉を使って思考していますから。外国語で話す時と日本語で話す時の思考方法は、相当違います。まずは日本語でしっかり思考ができることが前提で、それがベースになって複数言語ができるようになっていくんだと思います。

奥田

今は国をあげて幼稚園や小学校からの英語教育を始めていますが、そこには悩みもあって。幼稚園から小学校低学年ぐらいまでは、しっかりと日本語を学び、読解力を身につけることのほうが大事じゃないかとも思っているんです。

吉川

僕にはふたりの息子がいますが、彼らは日本語フランス語英語を自由に話します。母親はフランス語だけで話すし、父親は日本語だけで話すので、日仏両語を話さないといけない環境にありました。

奥田

学んでも、使える場所がないとあまり意味がないですよね。幼稚園や小学校で少し学んでも、日常で使わないと。日本はまだまだ英語が必要とされる場所が少ないので、その環境を変えない限りは難しいかもしれない。

吉川

聞きかじるだけでは、芸術を見るのと一緒かもしれませんね。慣れはするかもしれないけれど、自分の力になる訳ではない。 僕の時は英語勉強にはラジオ番組しかありませんでしたが、今は外国語の教材があふれています。大切なのは教材のあるなしの問題じゃなくて、「何のために」ということだと思います。僕の場合には、「留学したい」が勉強のモチベーションでした。今は留学も簡単になり、むしろ簡単になったからこそ、行きたい人が少ないのかもしれません。モチベーションが大事です。

奥田

日本の子供たちは、モチベーションが少ないな、と感じることがあります。この学校の教育も、何かを通して「モチベーションを持ってほしい」という想いが根本にあります。

吉川

先ほど学校を見せてもらいましたが、モチベーションのヒントが学校中にあふれていました。うらやましい環境だと思います。

どんな立場であっても、外交官としてできることが必ずある。

吉川氏と奥田理事長

奥田

外交官という仕事は、国の政策であったり、法律が変わったり、自分の力の及ばないところも多いと思うんです。その中で、吉川さんはどんなモチベーションでやっていらっしゃるのか。どんなことを目指して、外交官を務められたのでしょうか。

吉川

物事には自分の力では変えられないことと、自分の考えややり方によって変えることのできることの両方があると思うんです。例えば国の政策として決まっていることを一外交官が変えようとしても、それはさすがに難しい。でも、日々の接触や交渉の場で、大きな政策目標をどうやって実現するかについては、現場の外交官にある程度の裁量が与えられています。
昨日やっていたことを今日も明日もやるのなら、誰にでもできます。外交官として仕事をする限りは、常に「ここで何を変えられるだろう」「自分は何ができるだろうか」と考えることが大切だと思っています。

奥田

それは、より良い日本の未来のためなのか、はたまた、世界の未来のためなのか。吉川さんが目指す目標はどこにあるのですか。

吉川

亡くなった父は20歳で戦争に行き、4年間兵隊を務めました。戦争が終わってやっと帰れると思ったら、シベリアに抑留されてさらに4年。20歳から28歳という、人生にとって最も楽しいはずの8年間を兵隊や捕虜として過ごした訳です。日本がかつてアメリカのような巨大な国と戦争を起こしたのは、外交上の失敗です。外交官の仕事は、戦争を起こさないことです。そういう気持ちがあるから、平和や開発に対する想いがひときわ強いかもしれません。

奥田

根底には平和への想いがあるのですね。

吉川

せっかく外交官になれたのですから、日本の平和を守るだけではなく、世界で戦争が起きないようにしたい、と考えてきました。例えば、カンボジアや中東に展開する国連の平和維持活動PKOへの日本からの自衛隊派遣に関与できたことは、いい思い出です。

奥田

本校でも、生徒に「本当の価値を見つけてほしい」というメッセージを伝えています。

吉川

択一式の試験では正解はひとつかもしれないけれど、すべての質問に正解があるわけではありません。多くの場合、真理は賛成と反対の中間くらいにあるのかな。学校教育で学んでほしいことです。

奥田

先ほど語学の話も出ましたが、子供たちが海外に行くためには、道具としての語学の他に、どんな力が必要だと思われますか。

吉川

知らない人に「こんにちは」と言える人間力でしょうか。もじもじして話しかけられるのをじっと待っていては、友達はできないでしょう。笑顔で「こんにちは」が言えたほうがいい。関西の人は比較的外交的なので、外国で生活する素質があるような気がします。
日本では人前で恥をかきたくない、という意識が強くて、「英語が上手じゃないから黙っていよう」という人も多いでしょう。でも、知らないことがあれば、手を挙げて質問することが大事です。この態度は仕事の場面でも同じで、会議で発言しない人は、その場に貢献していない、と思われてしまいます。「その考え方には、こういう違った側面もあるのではないか」と言える人が求められています。
そういう力を学校教育の中でつけていくためには、「私はそうは思わないんです」と違う意見を言える雰囲気づくりが大切です。先生はもちろん、生徒同士の努力も大事です。「授業が遅れるから自分の意見を言うのはやめてよ」と考えるのは良くないですね。日本の学校教育は、その点が解消できていない気がします。

奥田

今の教育は、答えがひとつなんですよね。ですが、違う観点もたくさんあるはずなんです。他の人の質問を聞くことで、違った見方に気づく、それもまた勉強になるはずですから。

吉川

校内の様子を見せていただいて、音楽や美術など、色々な活動の機会があるのは、子供たちにとってとてもいい環境だと思いました。潜在的な能力が開かれますからね。
企業などの採用の場面でも言えることですが、僕は、就職するまでにどれだけ学校の成績に関係のないことをやったかで、人の幅や深みが決まると思っています。何回も転校した経験があるとか、音楽・スポーツができるとか、アルバイトをやった経験で接客がうまいとか。でも、今の採用方針は画一的な気がします。

奥田

何万人もの人をふるいにかけるためには、どうしても画一的な試験になるのかもしれないですね。それは僕らのような教育機関も同じです。受験をはじめとした評価制度をどうしていくかは、これから真剣に考えなくてはいけないですね。
最後に、中高生に対してメッセージをお願いします。

吉川

僕が外交官として持っている指針は、小さい国をあなどらず、大国にへつらわないことです。人生も、同じだと思います。相手によって対応を変えてはいけない。皆、それぞれ違った強みがあるはずですから。

奥田

色々な物差しではかっていかないと見誤ってしまう、ということですね。

吉川

色々な価値観を認め合うことが、豊かな人間関係を作ることにもつながるのではないでしょうか。そうやって人生を歩んで行って、多くの友人に恵まれたらいいですね。